これまで色々な人と接して来ましたが、私よりも寿命の短い人は、沢山いました。
人は、自分の最期を悟ったとき、無意識のうちに、親しかった人に逢うために、旅に出るのだと思います。
私が社会人に成りたての頃、学生の頃に親しかった友達が、
山形からはるばる東京まで、逢いに来てくれました。
それも突然に、何の前触れもなく。
今思うと結構な距離だと思います。
学生の頃は、金が無かったので、近くの小さい焼き鳥酒屋で、
すいとんを肴に飲んだものでした。
逢ってから、数か月したのちに、訃報を知りショックでした。
ご冥福を祈りたいと思います。

また、私が貧乏学生の頃、いつかはバイクを買って、
一緒にバイクツーリングに行こうと、
約束していた友人から、連絡があり、
バイクを買ったというので、一緒にツーリングにいきましたが、
数か月後、友人はバイク事故で、亡くなりました。

やはり、最後の挨拶だったと思います。
私の兄も、仲の良かった、いとこに逢いに、遥々広島まで逢いに行ってました。
なんで今、急に逢いに行くのか不思議でした。後になって気が付きましたが、
その数か月後、兄は亡くなりました。そのいとこも
生まれたばかりの子供を抱いた写真を1枚撮って、白血病で亡くなりました。
2人とも33歳前後で亡くなりました。2人は同級生でした。
やはり、「最後の挨拶」だったのだ思います。
また、私が昔、とても好きだった女性と別れて、数年たったある日、
本屋さんでその人を偶然見かけました。

追いかけて、声を掛けようと思いましたが、諦めました。
しかし、その人がバスに乗って帰っていくところを
とても近くで見守っていました。
もしかして、眼が逢うかもと期待しながら、、、
眼は逢わなかったけれど、私の存在を察知し、微笑んでくれていたような
気がしてなりませんでした。

また、数日後、近くのコンビニに行った帰りに、再び、その人の後ろ姿を見かけました。
まさかとは思いましたが、2度も逢うことが出来て、その日は宙に浮いた気分になり、寝付けることが出来ませんでした。
また逢えるかも知れないと、毎日ワクワクしていましたが、
年が明けて、その周辺を歩いていると、何やら極度に虚しい気持ちに襲われました。
昨年末に、その方が癌で亡くなった事を友人を通じて知り、大変ショックを受けました。

愛しく縁ある人であることは、確かでした。
あの世に旅立つ前に、逢いに来てくれたのかも知れないと、思いました。
私も、人生の折り返し地点を過ぎていますから、
自分の寿命も先が知れていると思います。
その時が来れば、無意識のうちに、最後のやるべきことをやるのだと思います。
ここに親しき人からの「最後の挨拶」をして頂いた方々を挙げましたが、
親しい人というのは、そんなに多くありません。
多くの人がいる中で、一握りの少数でしかありません。
「一期一会」という言葉がありますが、人と人が出逢う回数というのは、元々
一生でそんなに多くは無いのです。
そのかけがえのない人に、「最後の挨拶」をするのが、唯一残された
幸せなのでしょう。
人は、一生を終えようとする時、自分の寿命というものを無意識にわかるのでしょう。

私の家系は、霊感が強く、死というものに対する意識が高いので、
このような法則性に気が付いてしまいました。
ほんの数年前ですが、お世話になった先輩がお亡くなりになりました。
お亡くなりになる前に、あの先輩に逢いに行かなければならないという
思いが、ふと脳裏をかすめました。丁度、会社を退職する良いタイミングでもあったので、
同僚と二人で行く計画を立てました。言い出しっぺは私です。
他の先輩たちと合流して、結構な大パーティーとなりました。
その2年後、先輩は癌でお亡くなりになりました。
今思うと、やはり、これも「最後の挨拶」であったと思います。