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【いたずら】少年時代Ⅱ(爆竹爆破、仁義なき、火遊び編!)

私が言う少年時代とは、ほぼ小学生時代となります。

田舎暮らしであり、今でこそパソコンが発達したりとゲームが多様であったりと

遊びに事欠きませんが、そのようなモノが一切なかった昭和40年代の話です。

大自然全てが不思議であり、興味がそそられるものであり、遊び道具でありました。

来る日も来る日も日が暮れるまで遊んで、帰っては寝る日々でした。

当時、近所の駄菓子屋さんには、良く通ったもので、今では考えられない危険なモノが売っていました。

駄菓子屋のイラスト

最も人気だったのが、爆竹です。

爆竹のイラスト

これをあちこちで爆発させて遊んでいました。

当然ながらマッチやライターも持ち歩いていました。

そうです。危険な小学生だったのです。

今の小学生がマッチやライターを持ち歩くなんて考えられませんね。

マッチのイラスト

今思うと、まったく自由な昭和の良き時代だったと思います。

しかも大きな音がして、近所中に爆音がするのですから、、、

ただ爆発させるだけには飽き足らず、色々遊びを考えました。

導火線に火を付けて、爆発する寸前まで手に持っていて、そのまま

人がいる方向に投げるのです。人が逃げ回って楽しんでいました。

また、金属の筒を拾ってきて、その中に2本の爆竹を入れて

大砲のようにして、導火線に火を付けると、その勢いでもうひとつの

爆竹が筒から飛び出して、また空中で爆発するのです。

とてもエキサイティングでした。

「危険」のイラスト

当時は、あちこちで爆竹の音がしていましたから、大人に怒られるようなことはありませんでした。

また、爆竹を使った遊びがエスカレートしました。

よく、近所には田んぼや用水路がありましたから、ザリガニやカエルを捕まえて遊んでいました。

そして残酷なことに、捕まえたカエルの口に入れたらどうなるか好奇心満々でした。

大人のカエルのイラスト(カエルの成長)

実際に、カエルの口に爆竹を入れて導火線に火を付けました。

バーンという爆音がしたかと思うと同時に、カエルの姿はどこにも見当たりませんでした。

そうです。木っ端微塵に吹き飛んでしまったのです。

さすがに、子供ながらにカエルの命を一瞬で奪ってしまった罪の重さを感じ、

2度とすることはありませんでした。今でもカエルに申し訳ない気持ちがこみ上げてきます。

閻魔大王のイラスト

本当に子どもは残酷物語です。

次は煙硝玉です。

爆竹に飽きた頃に近くの駄菓子屋さんに行くと煙硝玉が売っていました。

これは、グリーンピースくらいの大きさで、色々な鮮やかに着色されていて、

アスファルトにたたきつけると爆発するというものです。

やはり、人の足元を狙って爆音を発生させて、人が逃げ回っているのを面白がっている少年でした。

お尻ペンペンのイラスト

次は、煙幕をモクモクと出す花火です。ちょうど自動車に備え付けの救助用のものに似ています。

煙玉を投げる忍者のイラスト

これに火を付けて、近所でモクモクやった時に、煙の量が半端なく、しばらく辺りが見えないくらい漂っていました。いまいち面白くなかったので、すぐに飽きました。

後日談話ですが、

近所に喘息持ちの戦争帰りのおじさんが住んでいて、幼い時から、お年玉をもらったり、アンコ入りのぜんざいを作ってもらったり、良く可愛がってもらいました。

いつもように遊びに行くと、おじさんが言うことには、煙が

突然部家の中に入ってきて、

呼吸困難になって死にそうになったという話を聞きました。

息切れをしているお爺さんのイラスト

それを聞いた瞬間、「俺だ」と思いましたが、どうやら犯人は自分であると

バレていなかったようで、一安心したのを覚えています。

今思うと、何と危険な遊びをしており、世話になったおじが生きていて良かったと、胸を撫でおろしているばかりでした。

やはり、第2次世界大戦が終わってから二十数年ほどしか経過していなかったので、まだキナ臭さが残っていたかも知れない時代なので、

そのような火薬を使ったオモチャが世の中に溢れておりました。

戦争のイラスト

今考えると

割と戦争の傷跡が癒えていない、懐かしくもあり、ちょっと怖い時代でもあり、子供の残酷さをあらためて認識した少年時代でもありました。

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