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【故郷】兵庫県西脇市、柏谷山、西林寺、仁王門様の眼光の強さに圧倒。

母の葬式の為、7~8年ぶりに帰郷しました。

91歳だったので、よく頑張ったと思います。

次男坊の私は、18歳で家を出たので、

ほとんど何もしてやれなかったことを悔やまれますが、

一時代が終わりました。

葬式が終わった後、少々の時間を持て余していたので、

懐かしさもあって、生まれ故郷周辺の散策を行いました。

やはり、最初に思いついたのは、幼少の頃に

悪戯をすると、必ずと言って良いほど、強面の仁王門さんの

いる西林寺に連れていかれたものでした。

最初は、怖かったですが、何度も連れて行かれるうちに、

段々と慣れて、恐怖心は無くなって行きました。

一応は、わざわざここまで息子を連れてきた

親父のメンツもあるので、怖がったフリをして、

親父の様子を伺いながら、反省している風に振舞っていました。

子供心なりに、人の上に立つ大神さまが、ひとりの幼児相手に

お仕置きをするなんて、そんな大人げない事をする訳がないと、、、と

硬くなに信じていましたので、心底怖くなかったです。

寧ろ、親しみを感じていました。

だから、懐かしくて、毎回帰郷するたびに、

自分の成長ぶりを伝えるために、逢いに行くのです。

怖いと言えば、田舎の一軒家において、

夜中にひとりでトイレに行く方が、よっぽど怖かったです。

私は、東京に住んでいる為、故郷を客観視してみました。

ここ、西林寺は、651年、中国・朝鮮半島を経由して、

日本へと渡ってきたとされる法道仙人(インドの仙人)によって、

作られたとされる古寺(古刹という)であることを 全く知りませんでした。

その後、1665年に「播磨西国三十三か所の第20番霊場」に指定されたようです。

このお寺周辺は、山沿いに位置し、周辺一帯には、

人目を憚るように、こんもり盛り上がった小さい古墳が点在しているのを

子供の頃から知っています。ここら一帯は、何か不思議なモノがあると

昔から考えていました。親父に不思議な話を聞いたことがあります。

村の畑が洪水となって、農作物が取れなった時期に、

古墳の中にある僧侶が入って、五穀豊漁を唱えて、

念仏を唱え続け、そのまま仏になった話をしてくれました。

護摩行のイラスト

確かに、その辺りの近くには、加古川という大川が流れており、

良く氾濫していたそうです。そして、江戸時代に私のご先祖様が

この農地の灌漑の基礎を整備したそうで、今でも、

西林寺に文言が飾ってあります。

そして、私のおじいちゃんが昭和の時代に、西脇市の村長になって、

大川の水を分流して、農業用水路を整備しました。

先祖代々に渡って、この地を25石の農地を守ってきました。

確かに、この山寺の裾野には、広大な25石の広大な田園が広がっています。

また、人伝えに、山裾にある小さい古墳に入った人がいて、

お茶碗やお皿があったような、話を聞いたこともあります。

そんな、仁王門様が「修繕中」でした。

そう言えば、餓鬼を踏んでいる「毘沙門天」様の姿が見ません。

そうなんですね。修復中なのは、毘沙門天様なんですね。

道理で、物足らないと、、、。

子供心ながら餓鬼になってはいけない、、、という思いが常にありました。

でないと毘沙門天様に踏んづけられますからね。

未だに、悪い事をすると、毘沙門天さんに踏まれている

餓鬼の映像が頭に浮かびます。(笑)

以下は、ワラジだと思いますが、それにしても大きいと思います。

仁王門様の足よりでかいので、誰が履くのだとよく考えていました。

未だに謎です。

次に故郷に帰るときは、毘沙門天様に会えると思いますので、

非常に楽しみです。その時は、こちらで余生を過ごしているカモ

知れません。

以下が、西林寺の裾野から、西林寺を見た田園風景です。

緑の絨毯で埋め尽くされています。これも、西林寺を中心とする

御先祖の方々が、我々に与えてくれた恩恵の賜物と言えるでしょう。

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